その友に対するいつくしみをさし控える者は、 全能者を恐れることをすてる。
友はいずれの時にも愛する、 兄弟はなやみの時のために生れる。
互に重荷を負い合いなさい。そうすれば、あなたがたはキリストの律法を全うするであろう。
もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。
喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。
もうひとりは、それをたしなめて言った、「おまえは同じ刑を受けていながら、神を恐れないのか。
獄につながれている人たちを、自分も一緒につながれている心持で思いやりなさい。また、自分も同じ肉体にある者だから、苦しめられている人たちのことを、心にとめなさい。
だれかが弱っているのに、わたしも弱らないでおれようか。だれかが罪を犯しているのに、わたしの心が燃えないでおれようか。
わが友よ、わたしをあわれめ、わたしをあわれめ、 神のみ手がわたしを打ったからである。
また口をもって、あなたがたを強くし、 くちびるの慰めをもって、あなたがたの苦しみを 和らげることができる。
ところがあなたは神を恐れることを捨て、 神の前に祈る事をやめている。
アブラハムは言った、「この所には神を恐れるということが、まったくないので、わたしの妻のゆえに人々がわたしを殺すと思ったからです。
そのふるまいの日がひとめぐり終るごとに、ヨブは彼らを呼び寄せて聖別し、朝早く起きて、彼らすべての数にしたがって燔祭をささげた。これはヨブが「わたしのむすこたちは、ことによったら罪を犯し、その心に神をのろったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつも、このように行った。
「万軍の主はこう仰せられる、真実のさばきを行い、互に相いつくしみ、相あわれみ、
悩みに会うとき不信実な者を頼みにするのは、 悪い歯、またはなえた足を頼みとするようなものだ。